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坂本龍一という「時代のタグ」― 〈AMBIENT KYOTO - TOKYO〉に寄せて

Tag of the time

坂本龍一という「時代のタグ」



私は、とにかくいろいろな音楽を聴いて十代を過ごした。


ギターを弾いたりはしていたが、音楽について専門的に学んだわけではない。ただ、中学から高校くらいまでの間に、周囲の人たちからずいぶん多くの音楽を教えてもらった。


エレクトロニック・ミュージック、ハードロック、ヘヴィメタル、ブルース、ハードコアパンク、ジャズ、現代音楽、さらにアヴァンギャルドなものまで。


本当にたまたま、周りには、何か一つの音楽をマニアックに掘っている人が多かった。友人、友人の兄、近所の床屋、ラーメン屋、音楽の先生。そうした音楽好きたちの影響を全身で浴びた結果、ずいぶんませた、全方位型音楽マニアのような子どもに仕上がっていたと思う。


そんな中で、坂本龍一の作品もかなり聴いてきた。


ただ、坂本龍一という人物に、特別に強い思い入れを持って聴いていたわけではない。アルバムを順番に追い、その思想や人生まで含めて傾倒していたわけでもない。政治的な主張や社会活動にも、正直に言えばあまり興味がなかった。たぶん一番初めに「坂本龍一が作った曲」を意識して音源を聴いたのは、「中谷美紀」が美人すぎる、という理由だった気がする。


それでも振り返ると、私はいつも坂本龍一を聴いていたような気がする。


それは彼の音楽が、ある意味で、私のとっての「時代のタグ」だったからかもしれない。


音楽的アカデミズム、YMO、映画音楽、ポップス、クラブ・カルチャー、テレビ、歌謡曲、社会活動。普通なら別々に語られる領域に、「坂本龍一」という同じ名前が現れる。



90年代の振幅


そのことを端的に表す例として、ダウンタウンとのプロジェクト、GEISHA GIRLSの時期はわかりやすい。


それだけを切り離して見ると、坂本龍一のキャリアに突然現れた奇妙な企画に見えてしまう。 90年代の仕事を前後に並べると、その位置はもう少し違って見える。


1992年にはバルセロナ・オリンピック開会式の音楽を手がけ、翌93年にはYMOを「再生」する。94年にはレーベルgütを始動させ、95年にGEISHA GIRLSを発表。その後は、ピアノ、ヴァイオリン、チェロによる『1996』、オーケストラ作品『DISCORD』へ進み、98年にはピアノを前面に出した『BTTB』(Back To The Basicsの意味だと言うのも心情を表している気がする。)を発表。


巨大な公的行事、かつてのバンド、クラブ・カルチャーとテレビ的なお笑い、室内楽、オーケストラ、そしてピアノ。数年の間に、作品の規模も編成も、接続する文化も大きく揺れている。


キャリア全体を見ても、坂本龍一は、多くの人を通して異なる音楽文化に触れ、そのたびに自分の位置を揺らしてきた人だった、ように思う。


日本のアカデミズムの中で多くの音楽家たちを、ポップ・ミュージックの現場では細野晴臣と高橋幸宏という才能を間近で見続けた。さらにデヴィッド・シルヴィアンやビル・ラズウェルのように、作曲や演奏だけでなく、異なる文化圏の音楽を結び直す音楽家たちとも仕事をした。その背後では、そうした新しい表現さえ素早く商品として取り込んでいく、80年代から90年代の巨大な音楽産業も動いていた。


いつも誰かと、その人の文化と、さらにそれを包み込む時代まで同時に見ていたのではないだろうか。


坂本龍一は、ある時期の自分を確立し、むしろ一定の時間が経つと、過去の自分を少し否定するように振り返り、別の場所へ移ろうとする。その振れ幅の大きさまで含めて、彼は時代の変化を引き受けていたのだと思う。


GEISHA GIRLSは、その振幅の真ん中にある。



GEISHA GIRLSという90年代日本のコラージュ


1995年の『THE GEISHA GIRLS SHOW』には、コント、会話、ジングル、フォーク、ヒップホップ、ノイズ、歌謡曲的な情緒が、同じ円盤の中に放り込まれている。一枚の統一された音楽作品というより、架空のラジオ、テレビ番組、近未来映画に近い。(ダウンタウンは番組の一環でやっていたのだから、当たり前と言えなくもないけど)


そこには坂本龍一とダウンタウンだけでなく、テイ・トウワ、ヤン富田、BOREDOMS、アート・リンゼイ、小室哲哉、売野雅勇、森俊彦らが、それぞれ違う役割で参加している。リミックスには、当時最先端の存在として私自身も傾倒していたUNKLEが加わった。


当時のクラブ・ミュージック、ノイズ、歌謡曲、フォーク、お笑い。それらを一人の作家のスタイルに溶かすのではなく、それぞれの文化を背負った人物を実際に呼び、一つの場所に並べていく。その雑多さ自体が、80年代から90年代へと移り変わる日本の姿だったように思う。


ダウンタウンが、80年代までのお笑いから90年代の日本のコメディへ移る変化を象徴する存在だったように、GEISHA GIRLSもまた、90年代の東京や日本を構成していた、いくつものタグを集めた作品だった。


これは融合というより、コラージュに近い。


しかも、坂本龍一がすべてを自分の音に変換するコラージュではない。

誰を呼ぶのか。何を任せるのか。出来上がった曲を、次に誰へ渡すのか。

異質なものを異質なまま残しながら、一つの作品として成立させる。その配置自体が、坂本龍一の仕事だった。



コラージュの中の「少年」


このアルバムの中で、私は特に「少年」が好きだった。


アルバム全体がクラブ、ノイズ、コント、サンプリングへ散らばっていく中で、「少年」は突然、素朴なフォークソングのような日本語の情緒を見せる。


作詞を担当したのは売野雅勇だった。


中森明菜「少女A」、チェッカーズ「涙のリクエスト」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」、ラッツ&スター「め組のひと」、荻野目洋子「六本木純情派」、稲垣潤一「夏のクラクション」。売野は、80年代の日本人の記憶に残る数多くの歌謡曲を手がけている。坂本龍一との接点では、中谷美紀の作品にも作詞で参加していた。


80年代の歌謡曲と、その時代の日本人の記憶を言葉にしてきた作詞家、 売野雅勇を選ぶこと自体が、作曲や演出の一部だったのだと思う。


さらに「少年」は、Mo’ WaxとMajor Forceが交差していた時期の初期U.N.K.L.E.へ渡され、日本語のフォークソングのような感傷が、サンプリングを軸にしたインストゥルメンタル・ヒップホップの中へ移される。作品を完成品として固定せず、別の作者たちに手渡し、別の文脈に置き直してもらう。


それもまた、坂本龍一のコラージュだった。 (音楽的にも「少年」はすごかったと思う。特にグルーブ感の組み合わせ。)



偽物の音楽


坂本龍一は後年、"90年代頃の自作について、偽物のR&B、偽物のハウス、偽物のヒップホップのような音楽をつくっていた、それらには満足しておらず、いっそその時代を消してしまいたい"、という趣旨のことを語っている。


私自身も、坂本龍一の音楽を聴いていて、素材そのものに「圧倒的なオリジナリティ」みたいなものを求めていない。


坂本龍一は、時には短く親しみやすい旋律をしばしば用いたし、現代音楽や、民族音楽の影響からくる反復を用いながら、基礎となる音も極端に珍しいものではない。ただ、親しみやすいような旋律も「少しだけ宙に浮かせる」ような響きを持たせる。(9thや13thとか)


初期の作品から一貫して、彼の個性は、誰も知らない材料を発明することより、すでにあるもの同士の距離を変えることに現れていた、ように思う。


しかも、その距離は、自分のオリジナリティを誇示するためだけに設定されていたわけではない。 特に映画音楽では、自分の内側だけから音楽をつくるのではなく、他人の作品の中で、自分の音をどこまで出し、どこで引くかを考える。


坂本龍一の映画音楽が高い水準にあった理由の一つは、この「他者のために距離を設計する力」にあったのではないだろうか、と思う。他人のためにつくるから個性が薄まるのではなく、制約や目的のある場所に置かれたときにこそ、彼の配置の技術は最もはっきり現れていた、ように思う。


もっとも、私は、坂本が言うような「偽物」の音楽が嫌いではない。正確に言えば、「偽物の何かを、自分のスタイルで仕上げてしまう」アーティストが好きだ。ビル・ラズウェルや菅野よう子もそうだ。ジャズの形式を借りながら、騙し絵のように洗練された表現へ変えてしまうラウンジ・リザーズのセンスにも惹かれる。


本物か偽物かより、別の場所から持ってきたものを、誰が、どんな誤解や翻訳を交えながら、どう配置し直したのか。その過程にこそ、その人の個性が表れることがある。



一人では完成しない


坂本龍一も、藝大作曲科の出身だから、「クラシックの高度な技法があり、ポップスも映画音楽もアンビエントも、その時代の音も自分風に簡単につくれた」という話ではないと思う。


たとえば初期の坂本の隣には、ポップスの膨大な語彙を持つ細野晴臣と、時代のファッションを体現する高橋幸宏がいた。二人がいなければ、少なくとも「あの時代の坂本龍一」は完成しなかったと思う。


これは彼の才能を小さく評価する話ではない。自分にないものを持つ人と時間を共にして、その違いを失わないまま作品にすることも、作者の能力だからだ。


地雷廃絶を訴えた「ZERO LANDMINE」のCDも買った。ただ、政治的な主張に強く動かされたからではない。あれほど異なる国やジャンルのミュージシャンが集まって、いったいどんな音楽になるのだろうと思ったからだ。結果として、作品そのものはそれほど好きにはならなかったけど。


私が見ていたのは、そこでも坂本の人選と配置だったと思う。


政治と音楽の結びつきに惹かれるなら、たとえば私にはマックス・ローチの方が親近感がある。 自分の身体を現場に持っていくような泥臭さ、正直単純にかっこいい。


私が興味を持っているのは、彼が何を主張したかより、何を選び、誰を呼び、異なる文化や時代の断片を、どのような形でその時代の私たちに届けてくれたのか、ということだ。


そう言う意味では、坂本龍一は、私にとって音楽の最終的な目的地ではなかったのかもしれない。


彼の作品を入口に、細野晴臣や高橋幸宏、デヴィッド・シルヴィアン、ビル・ラズウェル、テイ・トウワ、森俊彦、BOREDOMS、そして初期U.N.K.L.E.へと移動してきた。 坂本龍一の作品には、同じ時代に存在していた別の音楽や文化へ通じる経路が、いくつも埋め込まれていた。


だから私は、坂本龍一という個人に強く傾倒していたわけではないのに、いつも彼の音楽を聴いていたのだと思う。


坂本龍一の作品には、その時代のさまざまな要素が紐づいていた。


彼の音楽は、私にとって、その時代や音楽を手繰り寄せるための「タグ」だったのだと思う。





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著者プロフィール

中村 ローレンス 義仁

Sommelier


シドニーで修業後、蕎麦懐石の支配人として店舗立ち上げから運営を牽引。「The Best Sake List in Japan 2020」「Most Original Wine List in Asia 2020」「Asia Star Award 2021」など国際的な受賞歴を持つ。現在は都内飲食企業のサービス・ビバレッジ責任者を務める傍ら、Apoptosisで日本茶飲料をはじめとするノンアルコール飲料の開発に取り組む。真空管アンプの温かみのある音が好き。

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